本
2022/1/13
ばあちゃんが生きた証
1月7日(金)仕事の休みをもらって一路東京へ
ばあちゃんの葬式に向かった。ばあちゃんは88歳。
最後数年は元気をなくし、「遊びに行く」と伝えると「いいよ、めんどくさいし」と言って何度か断られていた。
東京の渋谷に住み、昔からばあちゃんの家に行くとなると、都会へいくことになり少しだけ鼻高々であったのを思い出す。
自分が小さかった頃のばあちゃんはまだ若かったのもあり、近くの商店街へチャリンコの後ろに乗せて連れて行ってくれた。
あとは渋谷にあったこどもの城。何があったのかまでは覚えていないが、とにかく人通りの多さに驚いた。
いつもタバコをふかし、かっこよかったばあちゃん。
読書家で、経済のこととか政治のこととかめちゃくちゃ詳しかった。
自分が大人になって、そういう話ができるのが嬉しかったし、先生になった時も喜んでくれた。
教育の話もよく知っていて行くたびにそんな話もしたことを思い出す。
そんなばあちゃんの葬式。大雪の中東京へ。空はどんより暗く、なんとなく気持ちも落ち込んだ。
一緒に行った妹と昔話に花を咲かせ。昼は父親が上京した時に初めて食べたという寿司屋のカウンターに連れて行ってもらった。
その後、斎場へ。横たわったばあちゃんを見ると涙がこぼれた。
今までの感謝と、これからどう生きていくのかを伝えた。そして生まれて初めて手紙を書いて棺桶に入れた。
もう亡くなってしまった人だから、書かなくても伝わると思ったのだが、今の自分の気持ちをそこに書き記しておきたかった。
出棺の時、みんなの悲しみは最高潮に達し、口々に「ありがとう」という言葉が聞こえてきた。
人は亡くなった時その人の価値がわかる。
ばあちゃんは間違いなく感謝される人生を歩んできたんだな。そう思うとほっとしたし、なんだか誇らしかった。
悲しみではなく笑顔で送り出したい。そう思えたのもこの感謝の言葉が聞けたからこそである。
高校生の頃ばあちゃんが読み終わった「深夜特急」という沢木耕太郎さんの文庫本をプレゼントしてくれた。
純粋だった自分は読み終わった瞬間、旅に出る事を決めていた。バックパックを背負っての一人旅。
大学に入り、わずかばかりのお金を貯めて向かった先はタイ・バンコクのカオサンストリート。
エネルギーの塊のような場所で、世界中からバカンスを楽しみにいろんな人種の人たちが交わっていた。
夜な夜なカフェバーでプレミアリーグをイギリス人と楽しんだり、トゥクトゥクに乗って名所を旅した。
1泊300円の宿は、水のシャワーしか出ないし、トイレは隣にあるバケツの中から水を流すシステムだった。
屋台飯は30円も出せば美味しく食べられたし、ビールも50円ぐらいで買えた。
将来死にたくなることがあればここに逃げ込もう。そう感じることができ、自分の人生がなんとでもなる気がした。
ストリートには足や手のない子が空き缶を前にお金を要求してきた。かわいそうになりお金を入れようとすると現地のタイ人に怒られた。
あの子たちはお金を稼ぐために、親に足や手を切られて運ばれてきているんだと。夕方になると親やそういう輩が迎えにきていた。だからこそ、あの子たちにお金を渡すとさらにああいう子が増えるだけだと怒っていた。
全くもって何が正解かわからない。今までもっていた価値観のようなものがガラガラと音を立てて崩れた。
けれどもそのタイミングで、その事実を知り、その子たちの顔や空気感のようなものを感じられたのは本当によかった。毎年担任する子達にはこの話は必ずするし、みんながいかに幸せかを感じてほしいと思っている。
もちろん全て伝わっているとは思わないが、担任した子たちが旅行に行ける歳になった時、少しでもキッカケになってくれればと思う。
それら全てのきっかけを与えてくれたのは「深夜特急」の本であり、大好きなばあちゃんだ。
そんなばあちゃんの生きた証として、これからも恥じない生き方をしていこう。そんな事を思った。
葬式帰りに、ばあちゃんの部屋に行き寝室から本を数冊もらった。そこからまた大きなメッセージをもらうと思う。
まだ読んではいないが、必要なタイミングがこれば降りてくる。
ばあちゃんへの弔いとして、10年ぶりにタバコを台所で吸ってみた。
口の中がほろ苦く。決してうまいとは思えなかった。けれどもこの苦味を噛み締めて残りの人生を生きていく。