クラス会議
2023/5/29
クラス会議研修(宮古島市立平良第一小学校)へ行ってきました
1月に続いて2度目の訪問です
前回のブログ記事でも書きましたが、こちらの学校は5年間全校でクラス会議に取り組んでいます。もちろん5年もあると先生たちや管理職の方の異動があり、なかなか続けていくのは難しいものです。けれども、熱い思いを繋いでクラス会議を続けてこられました。
前回訪問した時にも、何もアドバイスをすることはないのではと思うほど子どもたちは育っていました。もちろん細かい点は色々ありますが、大きく見ればクラス会議に前向きに向かっている姿がとても素敵でした。
前回の訪問記事はこちら
今回のミッションは、異動で約半分の先生方が入れ替わられ、新しく赴任された先生たちにクラス会議のやり方と魅力を伝えることでした。
もちろん新しく来られた先生からしても、よくわからないままクラス会議やりましょう!では納得できない部分もあると思います。自分に置き換えて考えてみると、〇〇実践を無理やりやります!と言われても、心から納得していないと前向きには取り組めないでしょう。
だからこそ、不安や不満も吐き出してもらい、それを回収できるといいなと思いました。
まずは飛び込みクラス会議
4年生のクラスでの話し合いでした。議題は「給食を完食したいのにできない」という悩みでした。事前に担任の先生から、個人の悩みをそろそろ扱ってみたいけどどうですか?と相談を受けていました。担任の先生がそろそろOKと思うのであれば、やってみましょうと返信をして当日を迎えました。
司会の子2人と、黒板書記の子が2人。とても上手にファシリをしながら進めていました。ほとんど自分の出る幕はなく、子どもたちがポカンとしているなという時だけ、少し声をかけました。
実際私がやってきたクラス会議でも、秋頃からこれぐらいの状態になることはありますが、5月のこのタイミングで既にほとんど完成している姿は、やはり今までの積み上げと、担任の先生の努力によるものだなと感心しました。
解決策を話し合っている中でも、水と一緒に嫌いなものを食べれば良いという意見を考えた子が、〇〇ちゃんは牛乳は好きかな??と私に聞いてきたので、本人に聞いてみれば。とアドバイスすると、すぐにその子のところに駆けつけて「牛乳は好きなの?」と尋ねていました。「好きだよ」という声を聞くと、嬉しそうに自分たちのグループに報告していました。
話し合いをさせようとするとどうしても話型を決めたり、へその向きを教えたり先生たちはしがちです。もちろんそれも大切なことではあるのですが、まずは話したい・聞きたいという気持ちなのではと思います。今回も本気で困っている子にアドバイスをしようと思うからこそ、話し合いの途中でも、質問しに行きそれを嬉しそうな顔で報告できるんだなと感じました。
だから順番としては、話型を教える前に話したい・聞きたいというモチベーションを高めることかなと思いました。
後半は先生たちへの研修
私から先生たちに向けて、なぜクラス会議が必要なのかをマスク問題・AIの台頭・不登校・自殺者・投票率の低下の観点からお話をさせていただき、その後ワークショップをしました。
ワークショップでは全校で取り組むクラス会議の良さと、クラス会議で心配なことを付箋に書き出しグループごとに発表をしてもらいました。
①マンネリ化→子どもたちがずっと続けているからマンネリ化している。
要は飽きている子もいる。
確かにこれは、確実に積み上げてきたからこそ起こる問題です。1年限りであればマンネリすることもなく進められますが、毎年確実にやってきたからこその問題です。
私の提示した解決策は2つ。与えられるクラス会議から与えるクラス会議へ。
子どもたちはそれだけ成熟しているのであれば、例えば他校へ教えに行ったり、保護者に向けて教えたりしたらどうだろうか。
その中で改めて、クラス会議の魅力を再発見したり、自分たちの成長にも気づけるのではないだろうか。
もう一つは、ガチガチの学級会やディベートにも取り組んでみる。クラス会議しかやったことがなければ、その良さも忘れてしまう。たまには対局にある学級会を経験することで、一部の人しか発言しないとか、クラス全体の議題しか話し合えないという経験をする。要は両極を体験することで、それぞれの良さに改めて気づくのである。
②解決策の中にそれで本当に解決できるの?と疑問なものが出る
解決策を出しても実際に実行できていない
子どもたちの発想は豊かで、解決策の中には大人では思いつかないものがよく出てくる。
それに対し、先生はそんなの無理だよと言ってしまいがちであるが、危険でなかったり人を傷つけたりしなければ、実行してみるのも良いと思う。
昔「廊下を走る」という議題に対し、バナナの皮を置くという解決策が決まった。半分悪ふざけの匂いも感じたが、敢えてそのままにしておいて、1週間様子を見てみた。すると、誰もバナナの皮を持ってくる子はいなかった。それから再度話し合い、まともな解決策に落ちついた。もちろん、最初の時点で止めることもできたが、一緒にふざけた解決策を楽しむことで、失敗を経験する。失敗か成功かだけでなく、失敗を何度か繰り返す先に、成功があるのである。だからこそ、子どもたちの失敗経験を奪わないようにしたい。
③クラス会議がこれで良いのか不安になる
どうしても僕らは正解を知りたがる。これでいいよと背中を押してもらえると安心するし、自信にも繋がる。だからこそ教科書が欲しくなるし、誰かに認めて欲しい。
けれども、絶対にこれで良いというものこそ危ういと思うし、そんなものは本物ではない。誰か1人を神様のように盲信し始めたら、成長は止まる。
ゆれるから学べる。もちろん軸は大切にしたいし、あっちこっちブレブレなのもよくない。けれども、絶対的にこれで正解であるというものほど疑った方が良い。子どもも違えば、先生の経験、価値観もまるで違う。その中で、唯一これだけがいい!というものなどないのだ。
バラバラでいいという話ではない。その中で意識を合わせて、一緒に進んでいくのが良い。お互いに対話をすることで、すり合わせをして、価値観を共有していく。昨日の時間もまさにそのための時間である。子どもに対話を求めるのであれば、先生たちが対話できるチームでありたい。もちろん一筋縄ではいかない。だからこそやりがいが生まれるし、うまく行った時に楽しくなるのである。最初から、まとまっていたり目的が共有できているのであれば、話し合う必要がなくなるのである。子どもたちが悩みながら進むように、先生方にもぜひ同じ経験をしてもらえるといいなと思う。
と、帰りの飛行機の中で書き始めたら止まらなくなってきてしまった。。。
「Learning by doing」
最後に伝えた言葉である。
やりながら進むのが一番学べる。不測の事態にも対応できる教師力が試されるし、ドキドキもする。けれども、それを乗り越えた先に手に入るスキルとマインドは一生使える。
平良第一小学校の校長先生をはじめとした先生方にあたたかく迎え入れていただき感謝申し上げます。夜もとっても楽しかったです。
1月の訪問では、寒くて海に入れませんでしたが、今回はパイナガハマにも前浜にも浸かれました。よければまた訪問させてください。