考え方
2023/3/6
発信することは誰かの痛みを引き受けることなのかもしれない
ブログやフェイスブックで発信するようになってどれくらい経つのだろうか
大学の頃からなんとなく始めて約20年
思いついたことをただなんとなく発信してきた
ところが少し前にアンチと呼ばれる人から執拗に絡まれたり、フェイスブックで直接DMで傷つきましたと連絡をもらったりした
つまり、
自分の発信によって一定数の人を傷つけてしまっているのである
ここで考えたいのは自分の発言が家の中や、居酒屋で話しているだけであれば誰一人傷つけることはなかったということである
しかし、多くの人の耳に入ることもなかった
自分はこう思いますよ
こういう場合はこうしたらいいんじゃないんですか
自分はこれによって救われました
っていう発信が誰かにとっては胸が痛む話であったり、そんなこと聞きたくねーよってことにつながるわけである
嫌な思いをさせてしまった人には、すみませんという気持ちであるが
だからと言って自分の思っていることを胸にしまっておくことはしない
自分の発信によって一人でも救われる人がいるのなら自分は発信を続ける
ごめんなさいという気持ちをもちながら
立場をはっきりすると応援される
サッカースタジアムに行く時に、どちらかのユニホームを着ていると仲間が増えるように、自分はこっちの立場ですと意識的に表明するのである
相手チームからすると目障りに見える時があるかもしれないが
自分は「日本を幸せ大国にする」というミッションに向かって進んでいく
だから発信を続けるし、居酒屋でなくてみんなから見える場所で声をあげていく
発信を続けてきてのが形になった本がこちら