クラス会議
2020/5/1
いじめをなくすことはできない
いじめ撲滅!とどれだけ声高に叫んでも一向にいじめはなくならない
戦争反対とデモ行進をしても戦争がなくならないように
教師のくせにいじめがなくせないとは何事だ!って怒る気持ちはとてもよくわかる。もちろんいじめを肯定している訳ではない。ないに越したことはない。
もちろんスーパー教師が担任して、一時的にいじめをなくすことはできても次の年にはどうなるか誰にもわからない。
先生は全力でいじめをなくすよう取り組んでいることも知っている。
そんな話ではなく、いじめが起こった時に自分たちで解決できたっていう経験が大切である。
だってそれは、今後の人生に置いて同じシチュエーションになった時、自分たちで解決できる力に繋がるから。
だからこそ、先生たちのマンパワーに頼った解決ではなく、自分たちで解決するっていうプロセスを手に入れることが必要である。
そのプロセスがまさにクラス会議な訳である。
子どもたちには解決する力があると信じること。
先生が解決するのではなく、クラス会議というシステムによって解決していくこと。
もちろんいじめだけでなく、プライベートな問題や困りごとを共有することで困った時にこうすればいいんだと知ることができる。
週に1時間、年間35時間。たったそれだけでも、人生の経験値としてとてつもなく大きなものを得ることができる。
困った時には、みんなに相談すれば解決に向けて進めるという経験。
人が困っている時に、手を差し伸べると回り回って自分に還ってくるという経験。
困っていることを人に伝えるだけで、悩みが半分になるという経験。
どれ一つとっても、残りの人生に彩を加えるものとなるし、辛い時の生きる糧となる。
つまり、生きることが楽しくなるツールなのである。
語弊を恐れずに言えば、いじめがあったことで、立ち直れないような深い傷をおってはいけないが、クラス全員にとってプラスに働くこともある。
つまり、マイナスな経験を乗り越えることでプラスを手に入れる。