学びの形
2020/9/4
僕は道徳を教えて良いのか
道徳ってなんだろう。哲学的な問いにも思えるが、なぜ小学校で道徳を行うのであるか最近は考えている。
果たして自分たちがやってきた道徳の授業は、子どもの道徳性を育んでいたのか。
というよりも、自分にはそもそも道徳を教えるべき素養があると言えるのか。
例えば、道徳の中に内容項目という考えがある。
一年間を通じて、それらの内容項目を網羅しようという考え方である。
「正直・誠実」という内容項目に対し、1時間の授業を設けた。
これで正直、誠実についてはOKということにはならない。
もちろん全ての項目を網羅することも大切であるが、この授業を受ければ嘘をつかなくなる授業なんてものはないし
むしろ大人になった今でも、私は嘘をついてしまう時もあるし、全然誠実でないなと感じることもよくある。
そんな私が道徳で「正直・誠実」について教えなくてはならないので「うーーん」とならざるをえない。
生後6ヶ月程度の赤ちゃんにも善悪の判断機能が既に備わっていると言われている。
画面上に○と△と□を表示しておき
○が進もうとした時に、△はサポートし、□はじゃまをする動きを何度かする。
その後赤ちゃんに△と□のどちらかを選ぶように促すと、△を選ぶそうである。
同じ実験を動物で行い、その後動物のぬいぐるみを選んでもらっても結果は同じになるそうだ。
善悪の判断が最初から備わっているとすると、ますますなんのために小学校で道徳の授業をやるのか混迷を極めてくる。
もう少しこの迷路に迷い込みながら自分なりの答えを見つけ出していきたい。
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