クラス会議
2023/1/11
クラス会議は自我を消滅させる
自我=こうするべきであり、この方法が正しい
あの人は間違っている、これが幸せである。こだわりが強く、こうあるべきが強い状態を自我が強いと言います。
もちろん、必要なものもありますが、その中の多くは、自分や周りを苦しめることになり、いい結果を生むことが少なくなります。
学級経営でいうと
理想のクラスに向けて努力をしていくことは悪いことではないですが、その方向に向いていないことにイライラしたり、子どもに対し寛容に慣れたりしない状態は決していい状態であるとはいえません。
子どもも一緒で、「こうするべき」が強いと周りとぶつかることが多くなり、どんどん孤立していくことになります。いつもイライラしているあの子とは仲良くしたくないと思えるのは極めて普通の感覚です。
以前担任した子の中に「蚊を殺してはいけない」と思っている子がいました。
昆虫カタスロフィと言って、蚊を殺してしまうと人間が生きられなくなるという情報を知り、そこから「蚊を殺すと人間が生きられなくなる」と思い込みはじめました。
もちろんそういった状況があることや主張があることは悪いことではありません。そして、それに従って自分が生きていこうとするのも全然O Kです。けれども、だからといって、蚊を殺してしまうクラスメイトに向かって、イライラしたり、「間違っているよ!」と言ったりするのは少し違います。
いろんな考えの人がいる中で生活していくのが、学級であり学校であり社会なのです。そこで折り合いをつけることを学んでいくことが必要なのです。
そこでこのA君は「蚊を殺さないで欲しい」ということをクラス会議の議題として提案しました。最初みんなは何を言っているのだろうという顔をしていましたが、A君が熱を帯びて昆虫カタストロフィについて語るので、意味は少しずつ理解することができました。
けれども蚊に刺されるから嫌だというB君の主張や、自分たちだけ蚊を殺さなくても、日本中の人が殺しているから意味がないといった主張のC君も現れました。
どの意見も決して間違っていない
私が聞いてもなるほどなと思えるものばかりでした。結局蚊を殺さないというA君の主張は採用されませんでしたが、A君は割と満足そうな表情でした。
これは、みんなが蚊を殺さなくはならなかったけど、昆虫カタストロフィというものを伝えることができたことに満足した様子でした。つまり、「蚊を殺すことが人間の危機に繋がっている」ことを伝えられたことでA君は自分にできることを終えたのです。
それだけでなく、「刺されると痒いから殺したい」というB君の意見、「自分たちだけ殺さなくなっても意味がない」というC君の意見を聞くことができ、なるほどそういう考え方もあるなと理解することができたのです。
最初は「蚊は殺してはいけない」という自我を抱えていましたが、クラス会議でみんなの意見を聞くことで、折り合いをつけ、そういう考え方もあるよねという無我の境地に達することができたのです。
要するに、自分一人だけの考えでなくクラスみんなの考えを受け入れることができたということ。
無我の境地とか難しいことを言っていますが、他者を受け入れ、自分の折り合いをつけることがこういった営みによって、少しづつできるようになっていくのです。
やはりクラス会議はすばらしい。