学びの形
2021/2/19
自由進度学習のはじめかた
著者蓑手さんとclubhouseで対談させていただいた。
基本的にclubhouseでの話は外に出さないルールがあるそうであるが、本に書いてあることなのでOKとさせていただきたい。
オムレツのケチャップで味を誤魔化してはいないだろうか
これは強烈なメッセージ。卵本来の味ではなく、ケチャップという味付けによってオムレツを食べさせているのではという問い。
つまり、学ぶってことは本来非常にワクワクするものであるし、楽しいものである。けれどもつい、余計なもので引きつけたり、本質から外れたところで、興味関心をもたせようとしているのではないかということ。もっとシンプルにわかりやすく知りたいとか、学びたいって気持ちに寄り添える学び方を。それが自由進度学習ということ。
自由進度学習をしていくと、学びのスモールステップが勝手に設定される。つまり成長が止まらないってこと。これを先生が一人一人に設定しようと思うとかなり難しく、きめ細かくしなければならない。けれども、子どもが自分で設定できるのがとても良い。どんどん学びのハードルを自分で作って超えていく。そんな素敵な学びがある。
全問正解は不正解
自分で問題を設定するとき100点を取れる問題では不十分である。3年生なのに、1年生の問題を解いておけば100点を取るのは簡単である。コンフォートゾーンを出ることなく、安易に点をとっては成長しないということ。イメージとしては、80点の問題設定をすることで、ストレッチゾーンに足を踏み入れ、20点分の間違いが宝物になる。そこが伸び代であるということ。
先生や親もつい100点であることを褒めてしまいがちであるが、蓑手さんは100点は残念と声をかける(あくまで自分で設定した問題の時の話)。残念の裏側を伝えることが大切で、そこが伝わるから子どもも意味がわかって、さらに伸びようとするのではないかと感じた。
学びのコントローラーを子どもに
ついつい握ってしまいがちなコントローラー。もちろん先生ががっちり握る時も必要であるが、子どもに少しずつ譲っていく必要がある。先生がいなくても学べる子を育てるためにである。
先生が進度も、学び方も全て設定するのではなく、子どもが自らに合ったスピードで、自分に必要な方法で学ぶ。このスタイルを入れておくことで、その先も学んでいける子が育つ。魚を獲ってあげるのではなく、魚を採る方法を教えるのである。きっと最初は勇気がいるだろう。いろんなものを手放すのだから。けれども子どもには力があると信じることで、子どもに預けて任せることができる。もちろん丸投げではなく、ミニレクチャーも交えながら、ちょっとずつ預けていく。インプット主体の学びから、アウトプット主体の学びへ転換していく。記憶のメカニズム的にもそのほうが記憶に残る。主体的に学ぶことができる。与えられる餌を口を空けて待っている子どもではなく、餌を自ら探しにいく子どもへ。きっとその方が子どもは楽しいであろう。自ら餌を見つけた時の喜びは大きいし、それを獲得した時の味は格別であろう。
蓑手さんの実践の根底には、自分が子どもだったらこの方が楽しいだろうなというものが流れている。与えられるだけの学びではなく、自ら取りにいく学び。そして何より学びは本来楽しいものであるという哲学がある。オムレツの比喩にあるように、卵本来の味を教師自身がしっかりと味わうことが、自由進度学習を成立させるために何より必要なことである。
と、まぁまだ本を読んだだけであるので、自ら実践することで子どもの反応、成果を自分自身も味わっていきたい。
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