親として
2020/1/20
クラス会議セミナーin安城 参加者さんの感想①
まず“対話”ってなんだろう?を考察しました。
議論や会話との違いは?
会話は雑談と同じ位置づけであり、クラス会議は対話に属する。
議論=意思決定
会話=意見の統一を必要としない
対話=互いの主張が守られる関係の中で、相互の異なる視点を得られる。
〈ツーリスト〉
このワークで、限定的なテーマについて困りごと(問題)を出し合った後、それについて本当はどんな事を求めたいのかを出し合いました。
これによって、問題の本当の原点が何なのか、もっと掘り下げないと見えてこないことに気づきます。
原点を探すには、当事者と周囲との対話が必要不可欠であり、解決に向けて建設的に考えたい、という気持ちが強く働きました。
〈Ask & Tell〉
言葉の持つ力。
語りかけによって受け取り手がどのような印象を抱くのか。
・考えさせられる『問い』を含んだ言葉掛け。
・バッサリと切り捨てるような一方通行の思いだけを突きつける言葉掛け。
ex問題行動がある当事者がどう受け取るのか。
・『話すときは、どうするんだった?』
・『話をちゃんと聞きなさい!』
同じことを伝えたくても、受け取ったほうの印象は全く異なる。
前者は、思考する、後者は、思考しない。
ということが大きな違いであった。
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以前、先生方が集う“学び合い”の場に時に参加した時も、円になって話す心地よさを体感したことがありました。
どんな服装で雰囲気で。
みんながどんな表情で気持ちで話を受け止めているのか。
全員を見渡すことができます。
ただそれだけのことって思いますね。
でもそれだけのことをして話し合うシーン、皆さんの日常の中にありますか?
私はここに、『誰ひとり取り残さない』という意味を感じています。
1つのテーマに対してそれぞれ全員が意見を言える。
また、「ナイスパス」として、意見を言わない選択もでき、それをみんなに一つの意見として認めてもらえる心地よさがあります。
【ハッピー・サンキュー・ナイス】なことを、みんなでシェアすることから始まる。
他人の幸福感をただ聴くことが、こんなにも人を気分良くさせるのか〜
例えば「人の幸せなんかどうでもいい」なんて斜に構えた心も、自分もフェアな心地よさの中でなら、きっと自分の幸せを見つめる機会がくるだろうと思う。
↓↓話しやすい環境が整ったところで↓↓
【お悩み相談】
気付いたらみんなの困りごとを自分ごととして捉えている。
対照的な考えもあれば、似た考えもある。
この輪の中で自分の考えがマジョリティかマイノリティかだいたい把握できる。
その上で思考することができることも、一つの安心感。
【議題決定】
自分の問題も発信できたという、一定の満足感が得られるた上で、他者の問題も含めた中から、今一番取り上げるべき問題を総意で決める。
この輪の中でみんなで決めたトピックだから、協働する感覚を楽しみながら目的を見失わず話し合える。
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たいち先生は、生産性が損なわれていく教育現場にクラス会議をご自身で取り入れ、ブラックとも言える労働環境を改善し、教員の方々が本来成すべき業務に当たることができる環境を実現するために、頑張っておられます。
でも、このクラス会議というものは、学校という現場以外にも、大変有用だと私は感じています。
簡単で、且つ楽しい。
この楽しめる上での生産性こそが、本当に求められているものではないかと思います。
個を認めてもらえている感。
絶妙な距離を保って1つのトピックを共有、協働する楽しさ。
共存。
生産性。
輪って大事だな〜。
どんぐりの輪の輪も、こんな風にありたいと思うのでした。