親として
2019/12/3
サラリーマン時代の話をしよう
先生になる前、UFJリースという会社で営業をしていた
月に1億、半期に6億というノルマを与えられ営業車で毎日走り回っていた
決して社内的には大きなノルマではなく、いろんな社長さんや経理部長さんと他愛ない話をするのは楽しかった。
ノルマさえ達成していれば昼寝をしている時もあり、一度営業に出てしまえば割と自由であった。
ではなぜ辞めたのか。それはそこに人間らしい営みが感じられなかったからだ
一緒に働いている人はいい人ばかりであったし、給料も教員よりはよかった。
今では三菱系のリース会社と合併してさらに待遇もよくなっているそうだ。
しかし、そのころは家を建てたばかりの先輩が1ヶ月後に北海道に転勤になるなど、かなりドライだなぁと感じていた。
そして、大きな失恋、通信で教員免許が取れるっていう妹からの情報が重なり
昔からやってみたかった教員の道へ進むことにした。
父親からはかなり反対され、最初は仕事と同時並行で通信制大学のレポートを出そうとしていたが、結局仕事の忙しさに負けてまるで進まなかった。
自分の性格を一番よくわかっているので、そのまま上司に辞めます!って伝えた。
それから1年間、通信で学びながら教育実習に行ったり、児童養護施設で夜勤のバイトをしたりした。
前職で学んだ決算書の見方やビジネスマナーは、教員になった時に役立つものと全く役立たないものがあった。
電話対応などは、最初のころ使えた主任先生からはよく褒められた。
サラリーマンをやった3年間は自分の中に必ず活きてると思う。
けれども、結構自負をもって望んだ担任一年目はかなりボロボロだった。
そりゃそうだ。授業もできない。子どもとの関係も作れない。保護者対応もまともにできないのだから。
一つよかったことといえば、会社員として働く時に何が必要なのかってことが見えたってことだ。子どもたちに話す時にもリアリティをもって伝えることができた。
今でも仲良くしてくれる会社員時代の先輩がいるってことは自分にとっても大きな財産である。