クラス会議
2021/12/13
第18回学級経営実践セミナーin愛知 「対話って何?」
クラス会議と対話
愛知の仲間とこんなセミナーを開催しました。自分はトップバッターで「クラス会議と対話」について話させてもらいました。
最近常々自分が感じているのは、学級の中に弱さを吐き出せる場所があるかどうか。
こんなことが辛いとか、こんなことを嫌だと感じていると言える場があるかないかは大きく違う。
辛いなぁキツイなぁを吐き出すことで、周りのメンバーがサポーターになってくれる。共感してくれることでなんとなく居心地の良い場所になる。弱さを見せられることは実は強さなのだと思いながら、学校って結構そういう子達にとって居心地の良い設計になっていないのではと感じている。
勉強のできる子は授業で、スポーツのできる子は体育や運動会で輝ける。けれどもいろんなことに対して、嫌だなとか辛いなぁと抱えたまま毎日6時間過ごすのは本当に大変である。
せめてもの場所として自分はクラス会議を提案したい。宿題をやりたくないんだ。忘れ物しちゃうんだ。朝起きられないんだを吐き出して、相談できる。そんな仕組みとしてのクラス会議はいかがでしょうか??
業の肯定
落語はそういう効果があり、酒に弱い・お金に目が眩む・女に人生を狂わされる主人公がたくさん出てくる。つまり欲に負けてしまう人たちである。
誰しも清廉潔癖というわけではなく、欲に溺れそうになりながら、ひたむきに生きている。そんな時に落語を聞いてほっとするのである。あぁあの人よりはましだなぁと。
クラス会議にも実は同じ効果を感じている。
弱い自分。ダメな自分を自己開示することによって、私も一緒だよというメッセージをもらえる。
もしくは、あぁあのキラキラ輝いているように見えるAちゃんも家では実は困っているんだと感じているのである。
ダメさを共有することで、自分はここにいても良いという安心感を覚えるのである。
反対に、教室の中が全員100点しか取らず、跳び箱10段をバンバン跳び、英語で議論が繰り広げられる教室。
そんな教室に明日から行きなさい!と言われて、行きたい!!ってなる子の方が少ないと思う。
もちろん、徐々にできるようになることは否定しないが、みんながスーパーマンのクラスであるとそれはそれで辛いのではないかと思う。
ダメなところあるんだよねーっていうことをお互いに共感、共有することであぁそうなのよね。って感じることができる。そんなクラスも実はありなんじゃないかって思う。実はありというより、そういうクラスって結構素敵なんじゃないかと可能性すら感じる。決して傷の舐め合いではなく、弱い部分をお互いさらけ出した上で、一緒に乗り越えていける関係。それをクラス会議を使ってやっていければと思う。
テーマの対話とずいぶん離れてしまったけど、そこには必ず対話が生まれるし、それによって1+1が2以上にもなる可能性も十分にある。
まとめ
他には、名古屋市の佐橋先生、だいかん先生。岐阜聖徳大学の加藤先生、瀬戸ツクルスクールの一尾さんが話題を提供してくださった。その中でも一尾さんの対話って必要??という話が面白かった。
個人事業主としてやっていくのであれば対話する機会って非常に少ないと思うというような内容であった。
対話=いいものとして思考停止に陥るのではなく、こうやって一度立ち止まって本当に必要なのか?
なんのためにやるのか?これをやるとどんな力が付くのかを見極めていかないと対話ありきで進めてしまうことは危険であるなぁと感じた。
と言いつつも小学生の間に対話っていいなぁと感じられるような機会を作っていくことは非常に大切だし、人と話をするといいことがありそうだぞっていう体験をたくさんできるといいなと思っている。
先生コンサル始めます→興味のある方はこちら
クラス会議オンラインセミナー→複数でも、1対1でも行います