マインドカウンセリング
2021/11/18
カウンセリングセッション(2012.11.15)
今回も育休中のママさん先生とセッションさせていただきました。どうしても正解を探してしまったり、自分の本音ではなく、相手の望んでいることを答えてしまうというお悩みでした。
前世を見て欲しいとのことでしたが話をしていく内にインナーチャイルドを癒すセッションを提案させていただきました。
深見先生
カウンセリングセッションありがとうございました。何だか興奮が覚めませんので、そんな気持ちのうちにう感想を書き留めます。語彙力が乏しいので、そこはご了承くださいませ。
はじめは前世が見れるなんて占い師みたいだなと、興味本意で受講してみようと軽いきもちでした。
どんな自分か、そういえば求められている自分、求められている答え、相手が喜びそうなことを考えて話していたなと話しながら思い付きました。世間体体質と言うのですね。今、思うと、もうそこから人に好かれたいのが見え隠れしています(笑)
そこから親子関係で印象に残っている想い出をふたつ。
①台所に入るなと言われたのに大人になってからあんたは料理できないとか
②プライベートなノートを見られてことに腹をたて怒りものを投げた私に対して理由も聞かずに両親から怒られ、心のシャッター閉めたことを伝えました。(愛されなかったイメージとして、このエピソードを武器に代えていたのかもしれないな)
そこで前世ではなく、インナーチャイルドを勧めていただきました。そこからが、すごかった。深見先生の言葉で、私が私の中にずんずんと入っていった(早速語彙力が無くてすみません)
インナーチャイルド
地球から出て、宇宙にいって、びゅーんとおりていって、(水のなかのようなものに入ったら)、小さい私がうっすらいました。近づくと、いまにも泣きそうで歯を食い縛っている斜め下を向いた私が目の前に。しゃがむと目を絶対合わせないけど、泣くのをこらえている。いまの私が無言で抱き締めてあげると、力がほどけてきて、ぼろぼろとなきはじめました。泣ききると弱々しく笑ってくれました。なにも言わないけど、表情はありがとうと言ってるような気がしました。
このインナーチャイルドが終わった時に、『小さい頃の私は、とにかく無条件に愛されたかったのかな?』と感じました。いいね!コピー報告ゼロの太陽(瞑想)
浄化のために太陽に向かって左回りに上っていくイメージをしていたのですが、自分が回ってしまって気持ち悪くなってしまったので(←アホですね)、仕切り直して、どよどよした自分が太陽に向かって飛び込んで行きました。太陽から出てきたらクリアなキラキラを振り撒いた自分かすぅーと出てきて、軽く飛び回っています。そしたら、笑顔の家族、友達、学校、地域、世界を通ってキラキラを振りまいていきました。
おそらく、正しいイメージではないですが、終了後には体が5キロくらい軽くなったイメージでした。
リーディング
言い訳するマニュアルを言うことも一生懸命やりすぎてしまうことも、間違った自分や力を抜いた自分では愛されないという思い込みから来ているものだと答えながら感じていました。
次に小学生(暗黒時代)のイメージを聞かれたときは、なぜそこなのかと思いましたが、一番ひねくれていて、どうせ私なんてと卑屈で面倒臭い時期でした。(あれでは愛されない(笑)
そして最後の言葉に鳥肌がたちました。
『愛されたかったのかな?』
先生とのやり取りで一切出てきておらず、私が先生とのやり取りのなかでキーワードとして感じ取っていたものでした。『そうそれ!!』と叫んでしまいましたが、衝撃でした。
その後の『本当は愛されていたんじゃないの?』にも。愛されなかったエピソードが強すぎて数多く合った小さな愛が見えなくなっていて、でも先生の言葉でもやが一気に晴れた感じでした。
トゥルーメッセージ
復唱させてもらいましたが、録音しておけば良かったと後悔。今までの自分を抱きしめて、キラキラした未来におくり出してくれる優しくも力強いことばでした。
終えてみて。
世間体を気にした裏には、無条件に愛されたい自分がいました。そしてこれからは力を抜いた自分を、自分が許して愛してあげようと初めて思えました。これからの人生で、幸せに生きるためのヒントをたくさんもらえた時間でした。今日のこの時間は、私の人生の転機です。幸せな気持ちを持って寝ようと思います。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
追伸
忘れないうちに書きましたので、メモのような感想になりましたこと、申し訳ありません。先生もゆっくり休めてください。寒さが増してくる時節ですので、ご自愛くたさいね。
セッションを通して、少しでもお役に立てたのなら非常に嬉しいです。愛情をもらっていなかったと言うのは、実は思い込みで、忘れてしまっていたり気づいていないだけでたくさんの愛情を受け取っていたことに気づいていただけたと思います。それは、今元気に生きていることが何よりの証拠です。もし途中で愛を注いでもらっていなければ、ご飯も食べられず、服も着ることもできず、大学まで進むこともできていなかったはずです。もちろん欲しかった言葉や愛の形ではなかったかもしれませんが、別の形で必ずしっかりと受け取ることができていたのです。